ネパールの背景とその国民性

<背景:地理>

世界に14座ある8千メートル峰のうち、8座を誇るネパール。それは、世界の屋根・ヒマラヤの北に中国、南部タライ平原のさらに南方にはインドと、2つの超大国に挟まれた、日本の 2/5 ほどの面積の内陸国です。そこには100以上の民族集団からなる約3千万の民がたくましく共存しており、ネパールが非常にダイナミックな多民族国家であることを物語っています。

<背景:人種>

ネパール人(本記事ではネパール語読み「ネパリ」を使用)も、さらに3つのグループに大別することができます。まず国民の7割強を占める地中海人種のインド・ヨーロッパ語系。好奇心に溢れ、踊りも歌も大好き。陽気でおしゃべり、おせっかいがやめられない人々です。カースト制度を持つヒンドゥー教を奉じます。2つ目は、モンゴロイドのチベット・ビルマ語系。大らかでフレンドリー、もくもくと働き、人をよくもてなす大陸的な特徴を示します。ヒンドゥー教の影響も受けつつ、チベット仏教系に長く晒された文化体系を示します。両者が混血し、首都圏を中心に存在して商いに力を発揮してきた少数派が3番目のグループです。どのグループも人懐っこさが最大の特徴です。人との距離感がなく、共通して家族を大切にし、親族付き合いも欠かさず、冠婚葬祭、祭りには幾らでもお金をかけます。同時に相手の立場になって黙考するという思考はあまりなく、意外に無頓着で無関心です。国民全員が少なくとも日に2度は国民食のダル・バート(豆カレー)を食べ、炊いた米飯を食べないと食事をしたとは言わないほどの米食文化です。これらの民族が力強く団子状になって、ヒマラヤの美しさにすら目もくれず、即決即断、ダメならすぐに諦めるその日暮らしをあくせく続けています。

<背景:歴史>

18世紀後半、ゴルカ族がカトマンズ盆地を制覇し、近代ネパール王国の基礎が据えられました。その後もゴルカ軍は破竹の勢いで進撃し、東は現インド・シッキム西部、西は現インドのクマーウーンまでを鎮圧し、その後も北は清朝、南は英軍(東インド会社)と、領土拡大を狙う大国と衝突を繰り返しながら、今の国境に落ち着きました。後に、小柄ながらも勇猛かつ敏捷なゴルカ(英語読みで「グルカ」)兵に目を着けた英軍は、白兵戦や山岳戦で圧倒的な強さを誇る彼らを長年にわたって傭兵として、こうしてゴルカの名を世界に轟かせ、ネパールの誇りへと高めました。ちなみに近代では、その勇壮な「ゴルカ兵」の看板も、地中海系の元祖ゴルカ族ではなく、モンゴロイド系の民族によって支えられてきたことを加筆しておきます。

<背景:政治>

1996年に、共産党を標榜する側と王政側との内戦が勃発し、国の政情は泥沼化してゆきました。2001年に現人神とされた王と家族が惨殺され、物質主義と相まって、人々の宗教離れが一気に加速してゆきました。2006年に包括和平が成立したものの、立てられた暫定政権はさらに混迷を極め、ようやく2015年9月に憲法が公布され、7州の連邦民主共和国となりました。しかし未だに、各国政府や国際機関からの多額の開発援助に依存しつつも、インフラ整備も工業化も遅々と進まず、政治家は椅子取り合戦に明け暮れ、民はいよいよ路頭に迷い、若者は希望を失い、重犯罪が急増しているというのが隠せざる現状です。

<背景:日本との関係>

JICAに代表されるように、日本が多くの技術・経済支援を施してきたゆえに、ネパールでも日本人への深い敬意や高い評価を得ています。欧米に対しても然り。海外への強い憧憬は隠せず、日本が理想の黄金境・ジパングと解されている節もあり、日本に辿り着きさえすれば裕福になれるというジャパニーズ・ドリームへと膨らんでいます。かといって長年の間、貧困の中にあっても、自分の土地で自給自足をしてきた彼らの底力は計り知れません。ゆえに日本の各経営陣が、彼らの甘い夢を打ち砕いて現実の辛酸を舐めさせるのか、それとも、その夢に寄り添い紡ぎ合わせて、より有能な働き手となるよう辛抱強く助けていくのか、彼らの人生に大きな関りを持つこととなります。

<背景:宗教>

宗教は、ヒンドゥー教と仏教が混在しながら9割近くの人口を占め、残りはイスラム教やアニミズムとなり、統計以上にキリスト教徒も存在します。前述のカースト制度は法で禁じられてはいますが、未だに根深く、苗字がカーストそのものを表すため、必然的に自己紹介で苗字を隠したがる人も未だに多くいます。カーストの高い人たちは弁が立ち、政治・外交力に長けている反面、カーストの低い人たちは、負けず嫌いの反骨精神に溢れています。数では少ない黄色人種はこの中に属さず、独自のシステムの中で生きています。カトマンズ周辺の商人系は、ヒンドゥー教の影響も色濃く、工芸や仏像芸術に花を咲かせてきました。敬虔なヒンドゥー教徒も未だに健在ですが、2001年の王とその一家惨殺事件以降、宗教心は著しく落ち、国をまたぐと不浄とされる肉や酒に手を出す人も多く、宗教がより形式的なものへと変化しています。

<背景:経済>

近年の経済活動を見ると、実質成長率5.9%のGDPは、昨年で約288億ドルに達し、その中でも通信業を含むサービス業が急速な伸びを示し、GDPの半分以上を占め始めています。かつての稼ぎ頭だった農業は、じわじわと下がって27%。なんとそれを超えて、GDPの3割も弾き出しているのが、現在約350万人といわれる海外出稼ぎ労働者からの送金です。これは、ネパリの大半が先祖代々から受け継いだ土地で自給自足していたところへ、現金収入が必要な近代生活スタイルが急速に雪崩れ込み、一家の稼ぎ手が田畑を捨てて海外に出稼ぎに行かざるを得なくなったための当然の帰結です。その結果、各地で放置された田畑が荒れ放題となっています。夫婦で別々に暮らさなければならないこうした状況は、離婚率の上昇にも一役買っており、かつて当たり前とされていた家族の絆にも大きな影を落としています。

物価上昇率は2016年に9.9%、翌年で4.4%と相変わらず高く、貧富の差を拡大し、貧困層の生活を圧迫しています。最低賃金は月額約14,000円で、平均月額収入は約18,000円です。労働力人口は約800万人とされ、失業率は11.4%。仕事もせずにだらだらと過ごす周囲を見る限り、この数字が相当控えめなものだと感じざるを得ません。

<背景:産業革命>

新憲法発布後の2017年には社会保障法が成立し、労働組合が中心になって産業革命を進めていますが、それも一枚岩とはなれず、むしろ権力闘争の隠れ蓑となり、若者の支持を取り付けるのに難渋しています。数字に余り表れていないものが土地売買で、元から産業の少ないネパールでは活発に土地売買が行わています。産業化を図りたい政府の規制もなんのその。地価は鰻登りで、このバブルがいつか必ず崩壊することを誰も信じていません。そうした中、大衆の楽天的な性格が仇となり、些細な理由で借金を抱え、そのまま借金苦に大切な土地を売り払う人も多く、かつてはカースト制度で抑えていたヒエラルヒーが一気に崩れ始め、経済的勝ち組と負け組がはっきりし始めています。

<背景:教育>

識字率の成長は著しく、70%に手が届くところまでとなり、むしろ都市部では高等教育熱が過熱しています。予算に乏しい国立よりも、英語で授業が受けられる私立に人気が集まり、身の丈に合わない授業料のゆえに、借金をしてまで子供たちを学校に送る親もいます。ところが教育は暗記型の真っただ中であり、毎日膨大な宿題が子供たちに課され、就職先もままならない不毛の試験地獄が続いています。そこにきて若者たちは、個人主義と新しい道徳の突風にさらされ、彼らを中心として社会の道徳は崩壊し重犯罪が急増しています。これらの背景から、国の威信を背負ったゴルカ兵の誇りはどこへやら…自信や自尊心に欠落した若者が世に溢れ出し、結果として自殺も急増しています。

<国民性:ケー・ガルネー?>

ネパールには、के गर्ने? (ケー・ガルネー?)という表現があり、字義的には「どうしようかねえ…」というものですが、かつての映画で唄われた「ケセラセラ」と全くの同義語で、「なるようになる」という意味であり、人々は口癖のようにこの言葉を連呼します。言い訳の数には枚挙にいとまがなく、それだけ人に優しい文化であると言えます。その大らかさと諦めの速さは底なしであり、何があっても「ケー・ガルネー?」で済ませてしまうパワーは今も健在です。

<国民性:源流インド>

ネパールが中国と隣接し、日本からも膨大なODA(政府開発援助)の出資、そしてJICA(ジャイカ)に代表される様々な技術支援も受けてはきましたが、その文化的、政治的、宗教的潮流は、圧倒的にインドに発します。ネパリっ子は最新のバリウッド映画と主題歌に魅せられ、踊りもファッションもそっくり真似します。幼少の頃から、色鮮やかなインド発の銀幕の世界にどっぷり浸かっており、誰もが話せずともヒンディー語を聞き分けます。ネパールの源流は、まさにインドといっても過言ではありません。しかしながら昨今は、共産党の影響力も増大し、国が中国に寄ろうとする動きは更に強まりそうです。

<国民性:国家意識>

この複雑怪奇なお国柄のゆえに、多民族・多言語国家のアメリカのような一枚板の国民意識はなく、未だにカーストや民族への帰属意識の方が勝っていると言えます。ゆえにネパールが国家主義に染まることは、穴の開いたチューブに空気を入れるほど難しく、むしろ民族主義、宗教的カーストの誤った忠節心により小競り合いが頻発してきました。

それでも誰かが困っていると、例え見知らぬ人であっても、すっ飛んでいって助けようとする精神は未だに健全であり、交通事故などが起きれば誰も素通りせず、あっという間に巨大な人垣ができます。当然のごとく翌日には、朝刊よりも早く事件を一般大衆が知っていることになります。プライバシーの「プ」の字もありません。人に意地悪をしたり虐めたりすることもほぼ皆無です。他人を警戒することもありません。

<この記事の特徴>

「敵を知り己を知れば百戦危うからず」。前置きが長くなりましたが、この諺通り、一筋縄ではいかないネパリを正しく訓練するための大切な第一歩として、彼らに関する基礎知識を共有させていただきました。さらに、私自身の20年間におよぶネパール経験に基づくだけでは主観に偏るだろうと、現地に在住する、あるいは在住していた日本人の老若男女(23歳から70歳まで)による貴重なご意見や膨大な情報も集計し、ここにまとめさせていただきました。

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